そこでみんながバラバラにしゃべり始めた。
フブリシェフスキーは木のほうへ寄っていって、木の皮をカリカリひっかいた。木の皮からアリが逃げ出して、地面に落ちた。フブリシェフスキーは身をかがめたが、アリは見えなかった。
 この時ファキーロフは前へ後ろへと歩きまわっていた。ファキーロフの顔は厳しく、威圧的でさえあった。ファキーロフは家まで歩いてゆく時、まっすぐ歩こうとした。思ってすぐにぐるりと曲がった。
 フブリシェフスキーはまだ木のそばに立ち、鼻眼鏡をかけて、近視の目で木の皮を見ていた。フブリシェフスキーのクビは細くて、シワだらけだった。

          


そこでみんなが数についてしゃべり始めた。
フブリシェフスキーは、もし中国風に上から下に向かって書いたら、パン屋に似るはずの数字を知っていると主張した。
「くだらない」とファキーロフは言った。「なんでパン屋なんです?」
「試してごらんなさいよ、そうしたらご自分で納得なさるでしょう」フブリシェフスキーはワイシャツのカラーが跳ね上がり、ネクタイが脇へずれるほどゴクリとつばを飲み込んで、言った。
「ほう、どんな数字ですかな?」鉛筆をとって、ファキーロフが言った。
「申し訳ないんですが、その数字は秘密にしときますよ」フブリシェフスキーは言った。
 これがどういう決着をみたかはわからないが、そこにウェーモフがたくさんのニュースを持って入ってきた。
 ファーキロフはビロードの青いチョッキを着て、タバコをふかした。

         

 数字はこんなにも大切な、自然の一部なのである!身長も動作も、みな数字である。
 いっぽう、言葉というのは力である。
 数字と言葉は、私たちの母なのだ。
 

                                                   11月5日

                             (1933−1934?)





 考えることなど

 この「数字」(もっともこの題名は、便宜上私がつけたもので、原作は無題です。)の最初の言葉、「そこでみんながバラバラにしゃべり始めた」は、旧約聖書・創世記のなかの、バベルの塔のエピソードを想起させます。最近では『バベル』という映画などもあり、知っている人も多いのではないかと思います。
 さて、それでは、なぜこの短文の一番最初が、バベルの塔なのか。ハルムスはどういう意図で、この印象深い一節をここにもってきたのでしょうか。
・・・・ええと、ちょっと考えてみないと。
もし自説をお持ちの方がいたら、教えてください。

カチカ